寺西 易堂 てらにし えきどう
   

風似儒流骨似禪
評花品柳亦前縁
才非世用唯風月
妓館僧房五十年
  風は儒流に似て 骨は禅に似る (風骨=ふうさい)
  花を評し柳を品す 亦た前縁
  才非ず世用いる 唯だ風月
  妓館も僧房も 五十年
135p×43p

文政9年(1826)生〜大正5年(1916)4月歿  
 江戸生。7、8才の頃名古屋に移る。名は鼎、字は子善、号を易堂と称した。青年期から諸国遊学に出て、信濃で木内梅軒(後芳軒・大沼枕山門下)、 遠州で藤森弘庵に学ぶ。また、村瀬太乙に経詩詩文を、詩文を林鶴梁らに、書を柳澤吾一に学び、緒方研堂を助けて洋書を翻訳するなどした。
 幕末に大坂に入り後藤松陰の教授を受けた。大阪府勧業課長・大阪博物場長等を務める。のち大阪船町橋に私塾愛身学舎を設け、門下の育成につとめた。また南画・書を能くし、筆力雄勁な書を書いている。
 また、讃岐琴平金刀比羅宮の旭社左脇(向かって右)に在る「真鍮華表」碑は易堂の書で、「真鍮華表 伊豫國松山 松齢講中 易堂書 印)(印)」とある。華表は「とりい」のことで、松齢講中の詳細は不明だが,真鍮製の華表を寄進した記念碑である。碑側、背面に多数の寄進者の氏名が刻まれている。
 「易堂」の下に、白文の「寺西鼎印」、朱文の「子善氏」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1005.html
http://tianpian.exblog.jp/1347775


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