小林 一三 こばやし いちぞう
   

いかにして たたしき道にかえりなん
雲の上人 よものたみくさ

秋のはつか 廬を出て 旅立とて
我家とも 人のいえともつかねとを
月になこりの おしまるる哉
如何にして 正しき道に返りなん
雲の上人(殿上人) よも(まさか)の民草(人民)


秋の僅か(ほんのわずかの間) 廬を出て 旅立とて
我家とも 人の家とも付かねどを
月に名残の 惜しまるる哉
5.7p×33.2p×2

明治6(1873)年1月3日生〜昭和32(1957)年1月25日歿   
 日本の実業家、政治家。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘は逸翁美術館。
阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。
 1892年19歳の時に慶應義塾卒業。翌1893年三井銀行に入社したが、明治40(1907)年退社。同年箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)の設立に参加して専務に就任,以後鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め、六甲山麓の高級住宅地、温泉、遊園地、野球場、学校法人関西学院等の高等教育機関の沿線誘致など、日本最初の田園都市構想実現と共に、それらを電鉄に連動させ相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。
 やがて実業界の第一人者となり,阪急百貨店などの設立にも成功し,またこの間東京電灯,日本軽金属の社長を歴任。
 興行面では 1913年宝塚少女歌劇団,1937年東宝映画を設立。
 政界では昭和15年(1940)第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立、1941年から貴族院勅選議員、1945年幣原内閣で国務大臣兼初代戦災復興院総裁を歴任したが、1946年追放令公職追放により公職を退いた。
1951年追放解除とともに東宝社長に復帰,東京有楽町のアミューズメント・センターの復興,宝塚歌劇の強化に努め,大阪,京都,名古屋に大劇場を建て,映画,演劇,ミュージカルの興行を盛んにした。
 1956年には新たな国民演劇育成を目指して大阪梅田と東京新宿にコマ劇場を建設した。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E4%B8%89
http://www.hankyu-bunka.or.jp/about/itsuo/
http://www.hankyu.co.jp/cont/ichizo/
https://bushoojapan.com/scandal/2017/10/10/104899
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E4%B8%89-65799


参考文献一覧      HOME