金子 堅太郎 かねこ けんたろう
   

至利至便又至公
看來一法萬邦通
疾呼天下人千萬
努力須唯去舊風
爲大原老兄囑録其所贈之詩
至利至便(=この上なく公平であること) 又 至公(=この上もなく公平なこと)
看来る一法(=一つの方法) 万邦(=すべての国) 通ず
天下を疾呼(=はげしく呼び立てること)す 人 千万
努力 須(すべから)く唯(ただ) 旧風(=古くからのしきたり) 去る
130p×42p

嘉永6年2月4日(1853年3月13日)生〜昭和17年(1942)5月16日歿
 名は堅太郎、渓水と号した。父は福岡藩士。藩学修猷館を出た後、明治4年(1871)黒田長溥公の援助で団琢磨とともに米国ハーバード大学に留学、法律学を修める。明治13年元老院に出仕。権大書記官、首相秘書官等をつとめる。伊藤博文を助け、大日本帝国憲法の草案起草に参画し、皇室典範など諸法典の整備にも尽力、最も大きな功績を残した。
 明治23年貴族院書記官長、貴族院勅選議員。第3次伊藤内閣農商務相、第4次伊藤内閣司法相を歴任。日露戦争では渡米し外交交渉・工作を行なうなど、明治の政治において多大なる功績を残し、また、ハーバードの学友であったセオドア・ルーズベルトの支援を得て、日露講和に奮迅の活躍をした。明治39年枢密顧問官。晩年は臨時帝室編修局総裁、維新史料編纂会総裁として史料編纂にあたった。
 教育者としても、日本法律学校(現日本大学)初代校長、二松学舎専門学校(二松學舍大学)舎長をつとめる。従一位、大勲位菊花大綬章、伯爵。
 「渓水堅」の下に、白文の「金子堅太郎印」、朱文の「渓水」の落款印が押されている。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%A0%85%E5%A4%AA%E9%83%8E#cite_note-1#cite_note-1
http://maechan.sakura.ne.jp/japanese_r/data/13.pdf#search='%E9%87%91%E5%AD%90+%E5%A0%85%E5%A4%AA%E9%83%8E'
http://shuyu.fku.ed.jp/html/syoukai/rekishi/kaneko.htm
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