遠山 雲如 とおやま うんじょ
   

紗燈紅閃忽風涼
吹弄盆栽茉莉香
回首炎埃黄十丈
亂蝉夾路趂斜陽
帰京寓作
紗燈(=行灯)の紅閃 忽(たちまち)風涼
吹を弄んで盆栽 茉莉(=まつりか)香る
回首(=ふり返って見る) 炎埃(=空中に飛び散っている細かい塵) 黄ばみ十丈
乱蝉(=鳴きたてる多くの蝉 )夾路(=狭い道) 斜陽(=夕陽) (お=趁 離れずにぴったりと後から付いてくる)
138p×30p

文化7年(1810年)生〜文久3年5月16日(1863年7月1日)歿
 江戸時代後期の漢詩人。
 名は有孚のちに澹。字は子発のち雲如。裕斎と号する。越中から来て財をなした小倉大輔の子として江戸に生まれ、母方の姓である遠山氏を称した。
 大窪詩仏や菊池五山に詩を学び、16歳で『寰内奇詠』を著し神童と評された。数年の間、修験者となり金華山・葛城山をめぐり、江戸に帰ると長野豊山に儒学を学ぶ。幕府の蔵役人となり、梁川星巌の玉池吟社に参加して重きをなすが、放蕩のため破産し職も辞す。
 その後は南総・厚木・八王子などを転々とし、詩を教えて生計を支えた。安政4年(1857)、師の星巌のあとを追って上洛するが翌年に星巌が没し、淡路・飛騨・越前を遊歴したのち京都で没した。
 詩集に『蟹紅魚白集』『雲如山人集』『墨水四時雑詠』『湘雲集』『京塵集』『島雲漁唱』『桟雲集』『湖雲岳雪集』『晃山遊草』がある。
 「雲如山人」の下に、白文の「遠山澹」、朱文の「雲如」の落款が押されている。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E9%9B%B2%E5%A6%82
https://kotobank.jp/word/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E9%9B%B2%E5%A6%82-1093948
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E9%9B%B2%E5%A6%82
http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-553.html
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%89%93%8ER+%89_%94%40


参考文献一覧      HOME