藤沢 東畡 ふじさわ とうがい
   

曲逕點苔幽
孤峰標石鋭
窗前茶鼎◆
自作岫雲勢
新立假山
曲った逕(こみち)の点(=点々)とした苔 幽なり
孤峰(=一つだけそびえる山)の標石(=道しるべに立てた石) 鋭どし
窓前の茶鼎(=茶具) ◆(欠字)
自ら岫雲(=山のほら穴からわきおこる雲)を作して 勢なり
新しく仮山(=築山)を立てる
60.5p×125.8p

寛政6年12月13日(1795年2月2日)生〜元治元年12月16日(1865年1月13日)歿
 讃岐生まれ。名は甫、字は元発、通称は昇蔵・昌蔵、別号は泊園。
 中山城山に師事して儒学を学び、さらに長崎で3年間中国語音を学んだ。文政7年(1824)大坂に出て教授を業とし、やがて淡路町5丁目に泊園書院を設立、『原聖志』『思問録』などを出して名声があがり、在坂のまま高松藩に召し抱えられた。
 東畡は萩生徂徠の学統をうけ、大坂で中絶していたその学統の中興をはかり、人材の育成につとめた。泊園書院はその後瓦町2丁目に移され、全国から入門者が集った。その間、東畡は大坂平野郷の含翠堂への出講、大坂城中の講釈など出張講釈も多く、やがて賓師として尼崎藩に招かれ、高弟中谷雲漢を儒官に推挙した。
 因みに幕末京坂の儒者文人評を番付けした『当世名家評判記(別名、大妙々奇談)』には、東畡を「大極上々吉」として筆頭に掲げ、当時大坂で随一の学識と世評ある学者とし、さらに人柄はよいが「田舎児」を免れぬとも評している。
 長男が藤沢南岳で、明治17年(1884)に南岳編の『東畡先生文集』が出た。
 「藤澤甫」の下に、白文の「藤澤甫印」と、同じく白文の「藤澤元發」の落款印が押されている。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%9D%B1%E7%95%A1
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%9D%B1%E7%95%A1
https://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%9D%B1%E7%95%A1-1122799
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/bunkajin-haka/newpage383.htm
http://bittercup.blog.fc2.com/blog-entry-2519.html
http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/10112/9944
http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/10112/10267


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