花山院 家厚 かざんいん いえあつ
   

如月之恒、如日之升。
如南山之壽、不騫不崩。
如松柏之茂、無不爾或承
月の恒(つね)なるが如く、日の升(のぼ)るが如く。
南山の壽(=長寿)の如く、騫(か)けず崩れず。
松柏の茂るが如く、爾(なんじ)に承(う)くる或(あ)らざるなし。
〔詩経下(小雅 鹿鳴之中6)天保 の一節]
47.7p×142.2p

寛政元年3月28日(1789年4月23日)生〜慶応2年8月20日(1866年9月28日)歿
 江戸時代後期の公卿。119代光格天皇・120代仁孝天皇・121代孝明天皇の三帝にわたり仕え、官位は従一位右大臣まで昇る。父は右大臣花山院愛徳。子に右近衛少将花山院家威、侍従花山院家正、左近衛権中将花山院家理、梅(飛鳥井雅典室)などがいる。
 寛政10年(1798)に従三位右近衛権中将となり、公卿に列する。文化6年(1809)恵仁親王(のちの仁孝天皇)の立太子に伴い、その春宮権大夫となる。文化11年(1814)権大納言に任じられる。文化14年(1817)、皇太子恵仁親王の即位に伴い、春宮権大夫を辞職の上、退位して院政を開始した光格上皇の院執権に転じた。天保5年(1834)右近衛大将・右馬寮御監に任じられる。弘化4年(1847)には内大臣に任じられる。しかし同年任職を辞した。嘉永元年(1848)には従一位を授与され、安政6年(18599には右大臣に任じられ、同年踏歌節会内弁を務めた。文久2年(1862)に右大臣を辞した。
 絵画にも造詣が深く、狩野派の絵画をよく描いたという。
 「家厚」の下に、朱文の「藤」、同じく朱文の「家」の落款印が押されている。

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