角田 九華 つのだ きゅうか
   

亭々素艶澹妝成
難寫凌寒侵雪情
不向?花競其美
由来松竹有深盟

題畫梅邉有招竹 應外孫八重女之需書之 時孫年甫八
亭々(=大きな木などがまっすぐに高くのびている)素体 澹妝(=静かな装い)成す
写し難し凌ぐ寒さを 雪情を侵す
不向きなり?花 其の美を競うを
由来す 松竹には深い盟(=同盟)有り

梅辺招竹有りの画に題す 外孫八重の需に応じて之を書す
時に孫年甫(はじめて)八
121.7p×39.3p

天明4年(1784)生〜安政2年12月28日(新暦1856年2月4日)歿
 江戸時代の程朱学派の儒学者。名は簡、字は大可または廉夫、通称は才次郎。九華山房と号する。
 豊後国(大分県)岡藩の藩士である仲島休治の子として大坂藩邸に生まれる。そのすぐ後に孤児となり、同じ藩士の角田東水が養い、中井竹山に学ぶ。幼より才学に優れ10代で藩の『豊後国志』編纂を命じられ完成させた。東水の遺言に従い岡藩に仕えることを決め、角田家を継いで由学館の教官となり、再び大阪に出て竹山に学ぶ。句読の師となり侍読から組頭班・用人見習を経て近習物頭まで累進する。大坂と豊後竹田往復のうちに、藩の学芸において田能村竹田と共に主導的役割を果たした。
 脇愚山や大坂懐徳堂に入門、徂徠学を止揚して再び力を回復した朱子学の洗礼を受ける。中年にして林家に入り書籍を博捜、世説新語に擬した近世人物逸話集『近世叢語』『続近世叢語』を作り、名を後世不朽のものとした。ほかに『孔子履歴考』や、『漢文中学読本初歩』松本豊多編では第十 本多忠朝・第十七 根津宇右衛門一・第十八 根津宇右衛門二・第十九 諫争之臣・第二十二 浅野長矩・第四十二 井伊直孝勧倹を著し、重要文化財「絹本著色歳寒三友雙鶴図」田能村竹田筆には天保三年の竹田自題と頼山陽、雲華、角田九華の賛がある。『近世人鏡録』が木活字版で出されたが、ほとんどの著述は写本で残され、羽倉簡堂に「等身述作」と評されたほど多数の著作があったが、ほとんどは散逸して伝わらない。
 「九華山人」の下に、朱文の「餘事詩人」、白文の「角田簡」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E7%94%B0%E4%B9%9D%E8%8F%AF
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http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1981.html
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2602919
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2602921
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/868815
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