富士谷御杖 ふじたに みつえ
   

夏山の みねもととろに なく蝉の
なきあかねはり みわふさへになく
夏山の 峰も轟に 鳴く蝉の

最大幅37p

明和5年(1768)生〜文政6年12月16日(1824年1月16日)歿
江戸時代中期から後期にかけての国学者。富士谷成章の長男として京都に生まれる。名は初め成寿・成元、その後御杖に改めた。号は北辺・北野。通称は源吾(吉)・専(千)右衛門。
筑後国柳河藩立花氏に仕え、和歌を広橋兼胤、日野資枝に学んだ。
12歳の時に父と死別。以後は伯父皆川淇園と叔父小河成均に教育を受ける。
父の跡をついで国語学を修め、「てにをは」について詳細に研究した。同時に淇園が考案し、当時の知識人社会において、「開物学」と呼ばれた人間の「声」と「気」から古代人の純粋言語を考察しようと試みた学問的営為から強い影響を受けた。
『古事記』は、言霊(ことだま)の霊妙な力によって古代人の心を様々な説話として表現したものであるから、その記載されていることが実在する事実とする本居宣長の解釈『古事記伝』は不合理であると批判し、日本神話についての新しい解釈法『古事記燈』を打ち出した。
また、[言霊倒語論]を提唱して形而上学的歌論書『真言辨』を著した。[言霊倒語論]とは、人心の内部の慰めることの出来ない「一向心」を「倒語」する、すなわちありのままに詠むのではなく、人間の生活において破ってはいけない「時宜」との葛藤から、和歌は詠み出されるべきであるというものである。御杖の思想には、他にも浄土真宗・蘭学などの影響が見られるが、神秘的傾向が強いためか、彼の思想は同時代の国学者たちの間でも難解だと評価されていた。
また、琴曲にもすぐれた。柳河藩では京都留守居役を務めていたが、晩年に、妻との離縁や半身麻痺などの多難となり、不行跡のため解任されている。
他の著作には、『歌道非唯抄』・『北辺髄脳』・『百人一首燈』などがある。

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