武元登々庵 たけもと とうとうあん
   

驚破幽人春枕夢
一牕斜月半梢横
幽人(=隠者)を驚破(=驚か)す 春枕の夢
一窓の斜月 半梢の横
27.7p×81.5p

明和4年2月15日(1767年3月14日)生〜文政元年2月23日(1818年3月29日)歿
 備前国和気郡北方村(現・岡山県備前市吉永町)の備前岡山藩士武元正勝の長男。名は質・正質、通称を周平・和五郎・孫五郎、字は景文、号は登々庵・行庵・泛庵など。
 弟勇次郎(君立)とともに閑谷学校に学ぶ。病身であったため家督を弟君立に譲って諸国を旅行し、20歳の頃、江戸に遊学して柴野栗山の門に入るが、後に播磨の医師について眼科を学び眼科医となる。
 最初蘭学を志したが、その大成の困難をさとり断念。その後は、古碑法帖や古詩の研究に精励した。長じて京に上り御池室町西に住居して頼山陽、菅茶山、田能村竹田、浦上春琴、古賀穀堂等の名流と交わり吟詠を楽しんだ。文化8年(1811)一時帰郷したが、同年再び家を出て京都に赴き、私塾を開き門弟を育てた。
 漢詩論を書いた『古詩韻範』は彼の名著であり、詩集『行庵詩草』は、楷書・行書・草書の達筆で書かれ、親交のあった菅茶山、頼山陽らの序文がのっている。
 「登々庵」の下に、白文の「登々庵」、同じく白文の「??散人」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://tois.nichibun.ac.jp/hsis/heian-jinbutsushi/jinbutsu/11726/info.html
http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/takemoto-toutouan/takemoto-toutouan.htm
http://www.city.bizen.okayama.jp/busyo/kyouiku/syougaigakusyuka/yoshibi/toutouan.html
https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A6%E5%85%83%E7%99%BB%E3%80%85%E5%BA%B5-18687


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