本居 宣長 もとおり のりなが
   

山室の妙楽寺の山にはか所をさだめて
かねてしるしの石をたておくとてよめる
山室に千とせの春のやとしめて
風にしられぬ花をこそ見め
山室の妙楽寺の山に墓所を定て
予て印の石を立置くとて詠める
山室に千歳の春の谷戸しめて
風に知られぬ花をこそ見め
36.5p×25.5p

享保15年5月7日(1730年6月21日)生〜享和元年9月29日(1801年11月5日) 歿
制作年 享和元年 72歳
 18世紀最大の日本古典研究家。荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされる。
 伊勢国松坂(三重県松阪市)の人。名は栄貞、本姓は平氏、通称は弥四郎・健蔵、号は芝蘭・瞬庵・春庵。自宅の鈴屋にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人と呼ばれた。
 木綿商の家に生まれるが、京都に出て医者となる。一方、『源氏物語』などを研究。のち賀茂真淵に入門、古道研究を志し、『古事記伝』の著述に30余年専心、44巻を執筆する。また、「てにをは」や用言の活用などの語学説、「もののあはれ」を中心とする文学論、上代の生活・精神を理想とする古道説など、多方面にわたって研究・著述に努めた。
 主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』『石上私淑言』『詞の玉緒』『古今集遠鏡』『玉勝間』『鈴屋集』など。

 宣長は寛政12年9月17日、門弟12〜3人を従え妙楽寺を訪ね、山内に自らの墓所を定め、10月4日に土地代を支払った。寺との交渉・造営は門人三井高蔭が仲介・監督した。
 翌享和元年3月、和歌山から帰宅後、花見を兼ね山室山に行き植えた桜の花に満足する。この句はこの頃の心境を詠んだ歌と言われる。

推奨サイト
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7
http://rekitan.net/person/080530.html
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gakusyuu/rekisizinbutu/motoorinorinaga.htm
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http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/okutuki.html
http://saigyo.sakura.ne.jp/yamamuroyama.html
http://kitaise.my.coocan.jp/mat33-1001.htm
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