野村 素軒 のむら そけん
   

養 喜神 則 精爽
泰豫 而 身安
集 和気 則 情意
流通 而 家福
喜神(=楽しみ喜ぶ心)を 養えば 則ち 精爽(=生き生きしている様)
泰予して 而して 身 安(やす=気持ちが落ち着き、安らかになる)し。→盤石の精神
和気(=のどかな気分)を 集れば 則ち 情意(=思い、気持)
流通して 而して 家 福(さいわい)なり。→柔和な情操
32.9p×97.8p

天保13年5月18日(新暦 1842年6月26日)生〜昭和2(1927)12月23日歿
制作年 庚戌=明治43年(1910) 69歳
 名は素、字は絢夫、通称は素介、素軒と号した。周防吉敷郡長野村に山口藩士、有地留之介の次男として生れ、文久3年(1863)に同藩の野村正名の養子となった。安政6年(1859)に上京し、桜田藩邸の有備館に学び、ついで塩谷宕陰の門に入り詩文経史を学んだ。文久2年(1862)には帰国し、山口藩黌の明倫館舎長を勤めた。のち、江戸に出て塩谷宕陰に宋学を学んだ。
 明治維新に際しては藩主をたすけて国事に奔走し、山口藩参政兼公儀人、軍政主事、権大参事を歴任。明治4年(1871)には官命により海外を視察した。
 帰朝後は茨城県参事、文部大丞大督学、文部大書記官、元老院大書記官、明治13年(1880)には、元老院議員となり、さらに亜細亜大博覧会組織委員、内国勧業博覧会審査官・評議員を務めた。のち貴族院議員に勅選され、33年(1900)には男爵、錦鶏間祇候を拝命し、政治家として大成した。
 詩書を巧みにし、書は小島成斎について学んだといわれる。日本書道会幹事長、書道奨励会会頭、選書奨励会審査長などを経歴し、能書家としても活躍。明治の三筆(杉聴雨・長三洲)の一人である。京都霊山の木戸公神道碑は彼の代表作。享年86歳。
 「素軒」の下に、白文の「野素和印」、朱文の「素軒翰墨」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://sr400.port5.com/04/4e-004.html
http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=x&s=1780
http://www.city.hagi.yamaguchi.jp/hagihaku/event/0612tegamiten/senderlist.htm#nomuramotosuke
http://www.osumi.gr.jp/isin/weblog/2006/10/post_5.html
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-359.html


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