行草には楷書のように厳然たる。書法は備わっておらず、運筆結体共に楷法を応用して変化自在に揮洒(自由に書く)すべきもの。
隷書全盛の漢代から世の進歩について、漸次実用に適する章草が生まれ、その後多くの年月を経て、隷書の痕跡を離脱した草書が出来た。
古いところの草書は独草体で一字一字離れ、早書しない。時に二字三字つづいたものはあっても後の連綿草書若しくは狂草などとは趣を異にしている。
草書というと早く書かねばならぬように思うのは間違いである。疾風迅雷(すばやく動き回る)に走筆するのは殊に日本人に多い病癖らしい。
楷書は坐するが如く、行書は行くが如く、草書は走るが如くとあるのは、その形を言ったもので、運筆の遅速を指すものではない。
草書はその用筆も形体も楷書に比すれば著しく円味と柔らか味を持って見えるが、それは円勢を帯びるためで、決して柔らかく書こうとしてはならない。
運筆の緩急軽重の妙味は、草書に於いて初めて高度に発揚される。
草書には筆意の連絡ということが特に重要で、そのため筆画と同じような線条を作る虚画というものが出来る。
虚画を実画と同じように力を込めて書いては非常に読みにくいばかりでなく、往々にして別字になる場合もあるから、虚画と実画とを判然と心得ておく必要がある。
草書のくずし方に一定の型はない。まず書聖王羲之の草書を以て正体とするのが普通であるから、なるべく王羲之系統の人のくずし方を学び覚えるのが良い。
草書の碑は古いところにはない。後世になってからは多少あっても学ぶべきほどのものはないから、草書は専ら帖によって学ぶ。
草書の古帖で最も有名なものは王羲之の十七帖である。
王羲之の草書は淳化閣帖、大観帖をはじめ諸種の集帖に沢山収められているが、翻刻を重ねて、伝わったものがあるから十七帖と共に初学の手習いの対象にはなりにくい。
ただ、幸いなことに双鈎填墨によるものが幾つか現代に伝わっている。
喪乱帖・孔侍中帖を始めとする快雪時晴帖・遊目帖など数種があり、王献之のものに中秋帖・地黄湯帖などがある。
これらをよく研究してから改めて淳化閣帖なり十七帖なりを見直せば正鵠(要点)を得られるであろう。
また、最も良く王羲之を学んだと思われる孫過庭や趙子昴の書を学んでから王羲之に入るのも一つの方法。
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近代発掘された漢晋の木簡や写経の類が当時の用筆を知る上の絶好資料となっている。
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三種の異本が伝わっており、寶墨軒本・真迹本の二種の方が筆意が明瞭にわかるから学びやすい。
關中本は故意豊かで最も良いとされているが初学の人々には少し難しい。
李懐琳は(生没年不詳)、初唐の書家で、欧陽詢や虞世南よりは少し先輩にあたるようで、草書を得意とした。
絶交書とは、竹林の七賢の一人の嵆康が山巨源に送った「与山巨源絶交書」を李懐琳が臨書したもので、署名はないが古くから彼の書として伝えられている。
我が国に伝わり、今は御物となっているもので、草書用筆の妙を窺う上に最も貴重すべき千古の墨宝である。
豪快無比の連綿体の筆勢。
草書細字の繊細なる筆の妙用を、まのあたりに見得る。