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観賞揮毫は上達の捷径(近道)

手紙や履歴書、乃至は門標・看板などの書き方を研究する実用書式に封して、扁額や条幅、或は扇面などに揮毫することを俗に観賞揮毫と呼び慣わしている。
観賞揮毫の練習は、極初歩の人々にとっては聊か無理であろうが、一通り書法を学んで、少しく手が動くようになれば進んでその練習を初めるがよい。もとよりそれを初めたからと云って鑑賞の対象となるような立派な作品が容易に生れる筈はないが、それによって運腕を鍛え上達を促進することが出来るのであるから、まだまだそれだけの腕も出来ないのになどいうのはいらぬ遠慮である。

一点一画の運筆法や、一字一字の結体法は、半紙でも+分練習出来るが、布置の練習、即ち種々の形の紙面へ多数の文字を大小按排して体裁よく当てはめて行くことの練習は、半紙だけでは出来ない。大小さまざまの条幅、扁額、或は扇面、色紙などあらゆる場合を実地について練習するがよい。

初心の内から心掛けて、なるべく多く画仙紙に向って条幅や扁額の揮毫を試み、画仙紙に親しんで置くことは上達の近道である。


条幅の書き方 

     推奨サイト  軸(日本)松本芳翠 (kohkosai.com)

まず手はじめに半截条幅の書き方から研究することにしよう。半截というのは画仙紙なり唐紙なりを竪に半分に截ち切ったものをいう。唐紙の半截はそれよりも幾分小形になるが竪と横との長さの比例は略同じようなものである。また中画仙・大画仙となると、漸次形が大きくなるが、竪横の.寸法の割合はこれも略同じであるから、小画仙紙によって練習して置けば何れにも応用が出来るわけである。
尚料紙の截ち方によって半截の外に、全紙、楹聯、聯落などの名称があるからこれも序に認憶して置かれたい。


一行条幅

半截に一行の条幅といえば、字数は五字から八字位までで、五字以下になると草書で長い下垂画でも作らない限り字間があき過ぎて体裁をなし難い。また九字も十字もの句になると字体の扁平な隷書か何かでないと無理が出来る。故に筆を下すに先だって、選ばれた詩旬の字数に応じてこれを何行にしてどの様た字配りに納めるかという事を、予め計画を立てることが大切である。

普通一行ものは紙の中央に書くのがよい。
落歎を単に干支や雅號位に止めるならば本文を中央に書いてよいのである。
そこで初めの内はまず用紙を竪に二つ折りにして中心に折り目をつけ、次に天地各二寸ほどの余白を残して中間を七つに等分して見るがよい。そうすれば一字の大きさをどの位に書けばよいか大体見当がつくであらう。
尤も折り目は運筆の妨げとなるから、なるべく折らないで済むように、早く経験を積まれることが肝要である。


                  

二竪(=病気)漸く衰えて戊申を迎う 古稀更に得たり五たび春に逢うを 追懐手つがら写す八仙(=道教の代表的な八人の仙人)の賦 君子陶々(=ゆったりする)神有るが如し 戊申歳端 (松篁蔵) 

二行條幅

十字以上十五六字までの句を半截に揮毫するには、二行にするがよい。そうして第二行の下部が広く空く時にはその下に落欺するがよく、また余白の少い場合は予め本文を稍右寄りに書いて落歎だけを第三行に書くがよい。

                           

南浦華に随って去る 廻舟 路已でに迷う 暗香覓ぐ(=目を細めて探す)処無し日落ちて 橋西を画す (松篁蔵)

綵雲(=美しく彩られた雲)輝映(=照り輝く)海東の天 忽ち見る金波岸辺に及ぶ 島影初めて明らかに松鶴を弁ず、辛卯(昭和26年)歳旦 自詠 (松篁蔵)

年来たりて職を退ぞき塵拘(浮世)を脱す 志業の功名儋石(些細)無し 知足識分(分相応)身世(境涯)の事 秋蛇春蚓(拙い書)独り驩虞(喜び娯しむ)
松篁書 偶成(自詠) 24th同人選抜展出品作


五絶條幅

五言絶句を半截に揮毫するには二行に書くのが普通で、左方の余白をやや広くして置いてここに落款する。
本文は十字ずつ二行に書いてもよいが、どちらかといえば第二行の下部に多少の予白を置いた方が窮屈でなくて見よいものである。それで多くの場合第一行へ一二字送って、十一字と九字、若くは十二字と八字にする。

文字の大小長短肥痩を按排して、変化あり而かもそれがわざとらしくなく自然に見えるように意を用いなければならない。それには無理をしないよう、それぞれの字形に応じて工夫するがよい。また連綿のところなど殊に注意して無理なつづけ方をしたり、同種同型のつづけ方が重複して無変化に陥らぬようよくよく心しなければならない。

落欺は左方の予白に書するのであるが、本文との折合いを考えてぴったりと適合する場所を求めなければならない。本文の文字や出来の如何によって、もとより一律には云えないが、まず中央部より稍下がったあたりがよい。また干支などを書く場合は下がり過ぎぬよう、本文の第二字目あたりから書きはじめ、雅号はもっと下げるがよい。

 

                  


萬里 人(=自分)南に去り(=島流し) 三春(=三度目の春) 雁 北に飛ぶ 知らず何(いずれ)の歳月に 爾(なんじ)と同じく帰るを得んや (松篁蔵)


七絶條幅

七言絶句も半裁に二行書いたものもあるが、文字が小さくなり、随って行間の左右の余白がやや広くなるので、普通は三行に書いて第三行の下部に落欺する場合が多い。
楷書で書く場合は、第一行第二行ともに十二字、第三行を四字にしてその下に、下がり過ぎぬように落款するがよい。

行草で揮毫する場合には此のように横に揃えないので、長い下垂聲のある文字などがあると自然順送りに第三行の字吸うが増すことになろう。

諸君はこれを参考に、或は各自の好む書体で書き試み、いろいろと工夫されるがよい。ただ我流はよくないから辞書を繰って正しい書写体を研究してかかることだ。


               

                          

暴虎憑河客気霜灰す。壮心旧に依って尚崔嵬。平生渉猟す千年の史。静かに古今の成敗を閲して来る。偶成(昭和23年自詠) (松篁蔵)
 昭和46年8月開催第20回書海社展金賞授賞の賞品として拝受した松篁の生れ年に制作された作品

豹は死して皮を留む豈に偶然ならんや 湊川の遺蹟水天に連なる 人生限り有り名尽きるなし 楠氏の精忠万古に伝う 大楠公(梁川星巖) (松篁蔵)

衣糧乗屋すべて全き無し 仍(な)お領す吟花弄月の権 憂国の詞人風雅の士 啓晩文化鞭を著くる先んぜよ。昭和22年自詠 (松篁蔵)

海天(=海上の空)秋雨にして昬黄(=たそがれ)を灑(=ちら)す 見えず欄(=手摺)前明月の光 名士星の如し今夜の宴 墨華(=席上揮毫の書作品)U々(=光り輝き)として瓊觴(=美しい玉杯)を照す 丁卯(=昭和2年)九月三五夜(=新暦1927年10月10日)大倉男(=男爵。大倉財閥2代目総帥大倉喜七郎)招宴席上作 邨上先生一粲 (松篁蔵)

回首(=振り返れば)茫々たり二十年 故園の形勝(=景勝)尚お依然たり 老松改めず凌宵(ノウゼンカズラ)の節 謖々(=松にあたる風の音の形容)として鳳を吟じ半天(=中空)に聳える 帰郷有感 自詠詩 (松篁蔵)

五律條幅

五言律詩を半裁に揮毫するには先ず三行であるが、三行目の下に落款するには一行の字数を十六字位にして第三行は八字位に止めて置かなければ落款のところが窮屈になるであろう。

これは行間のあきに比して字間がやや狭くなるので、もつとゆったりと書きたい場合には第一、第二行を十四字、第三行を十二字とするか或は第一、第二行を十五字、第三行を十字に作るもよい。此の場合は別行に落款するのであるから本文の約半分位の広さでよいから第四行をあらかじめ取って置かなければならぬ。

落款に「録唐詩、何某書」としたものを折々見うけるけれども、録も書も同じような意味で、重復するからこれはよろしくない。上に「録す」と書いた場合は必らす下の「書」字を省くべきである。



七律條幅

七言律詩を半截に揮毫するにはまずどうしても四行であろう。そうして第四行目の下に落款の場所を取らなければならぬから、一行の字数を十六七字詰にするがよい。

五絶聯落条幅

五言絶句二十字を聯落に揮毫するには、一行八字内外にして三行とし、第三行の下方余白に落款するのがよい。

これは唐詩選などにもある有一名な詩であるから詩題などは略して揮毫時の干支などを書するもよい。また簡単に録唐詩などとも書く。「録」字を上に加へた場合は雅号の下の「書」字を省くべきととは前に述べた通りである。


                    (松篁蔵)



七絶聯落条幅

七言絶句二十八字を聯落條幅に揮毫するには一行を十字乃至十一字位にして三行に書き、左側の余白をやや広くあけて置いてそこに落款するがよい。

                    (松篁蔵)


興来って筆を駆り、倦めば棋を圍む 復た戦塵の硯池を侵す無し 劫後文房四宝を余す換鵞何ぞ必ずしも羲之を学ばん 歸臥雜詩之一 昭和21年自詠 (松篁蔵)


扁額の書き方

扁額にも、字数の多い詩歌などを書く場合もあるが、普通は横一行に大字を書く場合が多く且つ、沢山の文字を書く場合は、横幅と同様に竪に読み下すように書くのであるから、これは條幅の書き方に熟しさえすれば、その応用で書き得るのである。
故に今はまず二字から五六字位までの横一行ものの扁額について述べるに止める。


二字扁額


二字額といっても、別にその大きさに定りがあるわけではなく、またその形が一定しているわけでもない。画仙全紙を横にして二字書いたものも二字額なら、扇面などへ二字書いたものもこれを扁額に仕立てれば、矢張り二字額と呼ばなくてはなるまい。然かしここではまず常識的に小さい額面を指すのである。
さて二字の小額面は、普通画仙全紙を横に五等分したものを用いる。

             

今この料紙に二字を行書で書くとする。僅か二字書くのであるけれども、経験のない初学にとっては果してどの辺から書き始めてよいか一寸見当のつきにくいものである。そこで料紙に折り目をつけて書いて見るがいい。どの様に折目をつけるかというと、まず紙の右端を二寸ほど残してあとを六ツに折る。次に天地を四つに折ると恰も図に点線で示したような折り目がつくであらう。そのイロハニの四つの角に跨るように第一字を書き、ホヘトチの四つの角に跨るやうに第二字を書く。次にリヌの二つの角に二行位に落款を入れ、その左側第六の線に沿って印章を押捺し、更に一字目の右肩、第一の線に沿って引首印(関防印ともいう)を押捺する。

以上は極く大体の標準を示したまでで、丈字によっては線の外へかなり点画を出して大きく作ってよい場合もあり、また二字とも比較的幅を広くとる文字であると、二字の間が狹く窮屈になるから、そんな場合は第二字を稍左方によせ、雅号を第六線の上あたりに書いて印章を其の下に押すなど、其の場合に応じて工夫を要することは勿論である。

              

                         

                              (上7点 松篁蔵)



三字扁額

二字の扁額は、字間のアキが一個所だけであるから、扁額としては一番書きよいものであるが、三字となると字間のアキが二個所になるから、その間隔を整えて調子をとることがむずかしくなる。一たい漢字は辵のかかる文字など、極めて小数の文字を除く外は皆左方から書き始めて右方に終るのであるから、これを横に並べて書く場合にも左方から右方へと書いて行けば、文字の間隔がとりよくて頗る便利であると思われるのに、昔からの習慣で、すべて右から書き、右から読むことになっている。そのため二字目の書き初めに当たって、それが最初の文字とどの位の間隔に出来あがるかという見当がつきにくい。そこで扁額を揮毫する場合、終りの文字から逆に書いてゆく人もある。しかしそうしたものは兎角文字の連絡に不自然なところが出来易いから、矢張り右から書く方がよい。熟練しで来れば大凡の見当がつくものである。それまではまず二字額の場合に準じて紙を折って書くがよい。右端を三寸ほど残して、そのあとを八つに折り、横は二字額の場合と同様四つに折ればよい。

                      (松篁蔵)



四字扁額

次に半截に四字の行書扁額を試みよう。條幅でも扁額でも、一つのまとまった作品を制作するにあたっては、まず其の詩句に応じて適当なる書体を選ぶ必要がある。飄逸な詩歌を几帳面な楷書で書いたり、謹嚴にして一読襟を正すような辞句を放縦な草書でものしたりしたのでは観者も興醒めてしまうであらう。第一にその詩句の意に相応しい書体を選ぶこと、次にはそれを如何様に配するかについて十分の工夫を費さなければならぬ。そうした点からいえば行書体が最も応用が広い。というのは一口に行書といっても一定の型があるわけではなく、楷書に近い行書もあれば草書に近い行書もあり、またその中間のものもある。その何れを採るかは筆者の随意で、調和を失わぬ範囲でそれらを混用しても差支ない。そうした融通のきくだけ、行書の扁額が一番變化が出来て面白いといえる。
紙の折り方や文字の位置などについては前に述べた二字額三字額の場合を応用して工夫せられたならば自ら分明であろう。

                      (松篁蔵)



落款のしかた

落款とは何か

落款とは「落成款識」ということを略していったもので、書画や彫刻其他すべての芸術的製作品に、その出来上った次第や、製作者の名前などを識すのが即ち落款である。故に単に署名だけのものや、或は印章のみを押捺した極く簡単な落款もあればまた出来上った年月日から、製作した場所、或は何々のために製作したというようなことから、それを製作した時に自分は何歳であったとか、昔はどんな天候であったというようなことまでも、こまごまと書き識した極めて長文の落款もあって、それら総てを引っくるめて落款というのである。


雅號について

書の落款には本名を署することもあるが、普通には雅号を用いる場合が多い。雅号は師匠につけて貰ったり、
或は自分で撰んだりするのが、今日では普通のようになっているが、もともとこれは他人が、其の人を呼ぶのに本名を以てするのは失礼として、其人の住んで居る土地の名であるとか、又はその人を生んだ郷里の名山大川の名であるとか、或は其の人なり家なりの持つ特徴などを以て其名に代えて呼びならわしたのが起原で、言わば、尊敬の意味を含んだ代名詞なのであるから、厳格にいうと自ら雅號を名乗るなどということは不遜なわけになるのである。それだからといって額や幅に太郎作だのお玉だの署するのも雅でないから、自ら雅號を撰ぶのもよいが、しかしそれを用いるのは所謂文雅の道に限り其他えはなるべく使わぬようにしないと心ある人に笑われるであらう。近頃手紙を書くのに自ら雅號を書き、宛名の方は却っ本名を記したりするものが頗る多いが、これらは雅號の濫用で、目下のものにならまだしも、同輩以上の人に対しては失礼千万なことである。

左様なわけであるから、たとえ額や幅など形式の如何に拘らす、勅語、御製等を謹写する場合は必す本名を署し、雅號を書かぬことになっている。また其他にあっても尊崇すべき先哲の遺訓などを書した場合には、矢張り本名を書くか、又は雅號を書くにしても其下へ本名又は本名の一字を書き加えて敬意を失わぬだけの用意を必要とする。

雅號の下に山人、仙史、道人、居士、樵夫、釣人など様々の言葉を加えたものを見られるであろう。これらは要するに浮世を離れた人、世捨人というほどの軽い意味でつけ加えられる言葉であるが、しかしもとよりそれぞれ異った意味を含んで居ること故、雅號によく即したものでないと、用いて却って世の笑いを招く結果になるであろう。


落款印について

落款印と称して書画の落款に用いる印章は普通三顆一組になっている。其の内署名の下に押捺する正方形の二顆の内、上は普通氏名印で、これは白字(陰文)に刻するのを正式とする。また下は雅號を刻するのが普通で、これは多く朱字(陽文)である。しかしこれには儼然たる定まりがあるわけではなく、嘉言吉語、或は閑雅な辞句を刻してこれに代えたものもあり、また時に両顆とも朱字又は白字のものもある。只氏名、字印などはその歴史が古く、従って文字の入れ方などに定まっ約束があるから、それらをよくわきまえた篆刻家に依頼して、方式に叶ったものを作って使用しなければならぬ。
右肩に押捺する一顆は、我国では普通に「関防」と称しているが、これは引首印と称する方が正しい。長方形、楕円形、自然形など形は一定していないが、何れにしても押捺する場所の関係上長目なものが多い。引首印に刻する辞句は何々軒、何々齋など、所謂斎号を刻するものもあるが、多くは自己の平生諷誦する金言であるとか、或は自己の境遇、抱負などをあらわした句を刻し、朱文、白文何れでも差支へない。
扁額や条幅をものした場合、肩に引首印、署名の下に白文、朱文の二印をかならず押さなければならぬように思っている人もあるらしいが、これは必ずしも、そうしなければならないのではなく、署名の下へ一顆だけでもよく、或は三顆並べて押したものもあり、また引首印などはあってもなくてもよいのである。要はその作品全体の位置と、書き下した落款の工合、且つ作品の内容如何により、それとよく調和するように工夫して印章をも選び用いなければならぬ。
尚爰に最も注意しなければならないのは、右肩の高いところに引首印を押捺するのは不遜である。