行書は一言にして楷書と草書の中間にあるというけれども、その中には楷書に近いもの、草書に近いもの、いろいろあって、草書以上に一定の型のないこと寧ち草書以上といってよい位であるが、その用筆に至っては、そう差異のあるものではない。
故に楷書によって書の基本的技法を会得し、草書に於いて運筆の緩急・軽重・筆意の巻絡・変化等を習得し、その手法に熟した上で、その中間にあり、その応用の範囲を出ない行書を学ぶことはさほどの難事ではない筈である。
行書の古碑帖では、まず何といっても王羲之の蘭亭序に指を屈せぬわけにはゆくまい。
が、その真迹は遠く唐の世に亡びて、後世に伝わるものはすべて唐代の名手によって臨摸されたものだということになっている。
更に転々と翻刻されて異本が夥しく三百蘭亭と称される程であるが、その内で初学の臨書の対象として神龍半印本蘭亭序と張金界奴本蘭亭序の二種を推すに躊躇しない。
http://kohkosai.com/rinsyo/gishi/03/03.htm
何れも唐代に羲之の行書を集字したもので、字数も多く、字画もまた比較的完好で、羲之の劇迹(強い感情が放射される書)として蘭亭序と共に最も著名なものである。
http://kohkosai.com/rinsyo/gishi/04/04.htm
元の趙子昴、明の文徴明などに至っては肉筆も数々残っており、また刻本にしても時代が新しいだけに字画完好で、且つ何れも山陰(王羲之)の正脈を伝えて穏健な筆致であるから、初学始めて古碑帖に入らんとする人々にとって絶好の対象として推奨したい。
唐代になって太宗皇帝に晋祠銘・温泉銘などがあり、初唐四大家の一人褚遂良に枯樹賦・哀冊文・行書千字文などがある。
稍下って李北海に李思訓碑・麓山寺碑・東林寺碑などの行書がある。
日本の三筆三蹟のものなどは真蹟が現存するのであるから、筆意を会得し易いわけである。
風信帖・玉泉帖など穏雅で何人にも適する。
http://kohkosai.com/rinsyo/japan%20syogaku/1-5-7/1-7.htm
http://kohkosai.com/rinsyo/japan%20syogaku/1-8/1-8.htm
http://kohkosai.com/rinsyo/japan%20syogaku/1-9/1-9.htm
ttp://kohkosai.com/rinsyo/japan%20syogaku/2-1/2-1.htm
顔真卿に争坐位稿・祭姪稿・祭伯稿の所謂三稿があって何れも非常に面白いものであるが、もともと草稿で率意の書であるから初学が直ちに飛びついてもよくその妙処を会得することは国難であろう。
宋代では米元章、蘇東坡画家を推す。