碑 文 大 意

 唐の貞観6年の夏の初め、太宗は九成宮に避暑された。太宗は高徳であり質素倹約を旨とし、反対したが、群臣は、オーバーワークの太宗の健康のため、請い願って避暑離宮を建てた。
 九成宮は、隋の仁寿宮を、贅沢なところや過度なものを取り去り修築したもので、規模は雄大であったが、山深い高地で水に乏しかった。
 ある時、皇后と離宮内を散策していた時、たまたま潤っている地を杖で突くと、甘露な水がこんこんと湧き出した。これは唐の皇室にとって一大瑞兆であるとして、その次第を記し、碑にした。