碑 の 変 遷

 この碑は、方若『校碑随筆』によると、明代に第1行18字目より第28行47字目にかけて、斜めに一筋のひびが入ってしまいました。そこで、それ以前の宋拓本を「未断本」と呼んでいます。その中でも第2行目の「参綜機務」の字がまだ欠けてないものが、とりわけ旧拓とされています。
 明初になると、第一行から末行にかけて綫状の断紋があることから「綫断本」と呼んでいます。
 明末には割れてしまいましたが、第2行目の「勢重三監」の「監」と、その後の「然并」二字がまだ欠けていなかったので「三監本」と呼んでいます。
 清初には、「無逸」の二字がまだ欠けていなかったので「無逸本」と呼んでいます。近拓ではこの「無逸」の二字も欠けてしまっています。
 陝西省博物館碑林研究室の趙敏生・李域錚両先生の『歐陽詢書皇甫誕碑』(陝西省人民出版社)によると、明代の断裂は、嘉靖34年(1555)に起こった大地震によるものであるといいます。この時、碑亭が損壊し、碑身が中断したといいます。
 詳しくは、王壮弘『増補校碑随筆』に影印諸本を掲げ、それらの特徴を細かく連記してあるので参照してください。