作 品 解 説

 この碑は、隋に仕えた皇甫誕のことを誌したものです。皇甫誕は、字を玄憲(げんけん)と言い、漢王楊諒(ようりょう)が并州総管のとき、総管府の司馬を排して諸政を司り、さらに儀同三司となりました。
 諒は、隋の文帝が崩御された頃、天下を狙っていました。これに対して、誕は安危順逆を説いて対しましたが、隋の第二代煬帝(ようだい)が帝位につくにおよび、諒はついに兵を発して乱をなしました。
 誕は大いに諒を戒めましたが果たされず、仁寿4年9月、51歳で逆に殺されてしまいました。誕の非命の死に対し天子は痛惜せられ、弘義郡公に封じ、明公(めいこう)とおくりな諡されました。
 子の無逸は父の事跡が消滅してしまうことを惜しみ、この碑を建てました。

  成立年代  唐時代 貞観年間(604-643)?
  筆   者  歐陽 詢
  撰   文  于 志寧
  書   体  楷書
  現   存  陝西省西安(西安碑林)
          蔵石編号 1377  
          1949年、前陝西省歴博より移管
          残断 竪形 龍首 方座
  形   状  260×96cm 
          字面 縦185×横96cm
          59字×28行
          一字の大きさ約、縦2.2×横2cm


 西安碑林第2室皇甫誕碑も参照してください。