HOME

贋 物 発 見


贋物              真筆

 この贋物は多摩市に住むO氏がヤフオクに模写として出品していました。掲載された写真では古いもののようで、日焼けしているように見えました。しかし、入手してみると古代色の加工紙に書かれたものでした。

紙について
 芳翠先生は墨色を重視し、藍紙金泥の作品等以外、まず加工紙を使用されることはなかったと思います。墨は「天保九如」などを、奥様が書斎の隣の和室の中央に硯を置き居眠りをしているかのように磨られたものを、ご自分で調整され使用されていました。
 戦後間もなくの頃はパルプ半紙の裏面を使用し、ごく淡墨で滲みを利用して『書海』の課題を書かれていました。そのせいか書海社の先輩諸氏は皆淡墨で、唐紙に書かれていました。
 贋物は筆勢を隠し、印をはっきり見せないようにするためのように思われます。

印について
 印は安達疇邨先生刻の摸刻と思われますが、擦れてはっきり見えません。

    
安達疇邨先生刻          贋物

 芳翠先生は、ここにしか押せないという位置を意識された作品を作られました。その位置にピタッと恰も印泥が盛り上がっているかのように正確に押されました。
表具について
 この軸の裏側にシワが見られます。芳翠先生は、表具は永山雄山堂を中心にお願いされていました。この様に総裏にシワが出来るのは如何にも素人、あるいは頂戴した書き下ろしの作品を表具されたのかもしれませんが、その場合でもプロにお願いし、箱書きを依頼すると思われます。

空間を書く(章法)
 「黒を書くことでできる白を書く」これは私が書を学ぶにあたり常日頃心がけていることですが、芳翠先生は「空間を書く芸術家」だと思います。以前書海社の事務局に勤務していた頃、先生が唯やたらと点を書いておられたことがありました。不思議に思い、失礼を顧みず声をかけました。先生は「うーん、滲みが…」とおっしゃり、墨量・スピード・起筆や筆管の角度・位置など、ややしばらく追及されていました。先生の点は、ここでなければならない場所に的確な大きさ・角度・滲み・動きで打たれます。

 先生はよく「僕は芸術家ではない。職人だ。」とおしゃっていました。上記のようなことを繰り返すことで芸術の域に達したのだと思います。「思い付きや偶発的なものは芸術ではない」というお考えだったと思います。このことは『書海』の課題講評欄の『観鵞小記』(http://kohkosai.com/fousui-kanshi/観鵞小記.pdf参照)に評されています。また先生は「未だに満足する作品はほとんどない」とおっしゃっていました。
先生は常に空間を書かれます。このことは筆脈にも通じます。一字の中はもちろん、全体でも途切れることはありません。自然に息を吸い息を吐くを繰り返すような、脈々と血液が流れるが如くの動きを感じます。

 芳翠先生は「福禄寿」(現「労働最光栄」)などの長鋒を使用し、用筆は平筆(「好古斎」運筆の原理http://kohkosai.com/syohou/kihon/kihon.htm参照)で、筆管を極端に前に倒した執筆法で、どことなく艶っぽさを感じます。このことは一本の横画・縦画にすら見られます。先生の線は単なるトン・スー・トンの直線ではありません。何とも言えない味わい深い線です。

 以前、書海社の新年会で浄瑠璃を披露されたことがありました。そうした艶っぽさを先生の作品に感じます。言葉で表現するのは難しいのですが、私の収蔵品と贋物を比較すれば一目瞭然かと思います。
        
 芳翠先生の書作品は、先生のお人柄そのままだと思います。余談になりますが、書海社の事務所が狭く、先生の書斎の前で競書の整理をしていました。小学1年生の課題作品を廊下いっぱいに広げていました。先生が障子を開けてややしばらくご覧になっていました。気になり「先生、何か?」と尋ねましたら、「うん、トイレに行きたいだ」。あわてて、「どうぞ」と場所を開けると「君は僕の作品を跨ぎますか。小1でも一か月真剣に努力した作品ですよ」と優しく窘められました。私は慌てて作品を重ねました。先生のお人柄に触れた瞬間でした。

 お稽古で展覧会の下見をして頂いた時、同じ表現のものを見ていただきました。「どちらでもいいよ。君はどちらがいいんだい。」と聞かれ、「ここを直したいと思うのですが」答えると「そう思うなら直したのをもってきなさい。」とおっしゃられました。自分の未熟さ・甘さを痛感しました。
 その後、書き直して見ていただき「良くできた」とお褒めにあずかり出品しました。結果は入選止まり。改めて先生にお聞きすると「君のは良かったよ。でも他の人はもっと良かった」。唖然としました。

 思い出は尽きませんが、芳翠先生は書の道を究めることで達成された全人格的なお方であり、昭和の書聖、書神として崇拝するに相応しい先生です。この贋物はあまりにも稚作であり真筆と間違えることはあり得ません。が、これを機に真の芳翠先生を一層ご理解いただきたく、あえて筆を執りました。




HOME