裴李崗文化(B.C.5500〜B.C.4900)

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 1977年、河南省新鄭県裴李崗で発見され、華北各地、豫中一帯・豫北・豫南に分布しています。
 裴李崗遺址は、河南省新鄭県城西北約 7.5qの場所から、窖穴・陶窖・墓葬の遺跡が発見されました。比較的小さい遺跡で文化層も薄く、粟を栽培し、豚を飼育していました。土器類・農工具も仰韶文化に比べ種類も少ないようです。
 土器は、焼成温度の低い紅陶で、彩文がなく、かなり脆い焼きです。農具は、石製の鋤先・磨製の石斧・石磨盤・石棒が女性の墓から出土しました。鋸鎌は、仰韶文化ではなくなり、B.C.数100年頃、華中で青銅製のものが使われました。また、鷹の腿の骨を切り、孔を七つ穿けた竪笛16本が出土しました。7〜6音階が吹けます。念入りな細工の骨器も見つかりました。
 莪溝北崗遺址は、密県城南綏水とレ水との交わる三角地帯から、房基・窖穴・墓葬の遺跡が発見されました。住居が中央に集中し、南部に窖穴、西部と北部に墓地がありました。比較的小さい6座の半地穴居址(竪穴式)の、円形(直径2.2〜3.8m)・方形の住居です。
 窖穴は円形・楕円形・不規則形で、焼成温度は900〜960 ℃です。粟を主とする農業中心の経済で、磨製の石鎌・石磨盤(磨棒)が出土しました。豚・犬を飼育し、漁業と採集が中心でした。
 墓は長方形の浅竪穴で南北に向いていました。原則として単人葬(仰身直肢で、頭は南向き)で、陪葬品は1 〜14件で、主に陶器(双耳壺と三足鉢)です。