<十二支・六十干支>

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 十二支とは、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰>(たつ)・巳>(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の12をいいます。12進法はバビロニアから起こったものとされていますが、中国では、古く殷の時代から、10・12およびそれを組み合わせた60の周期で日を数えることが行われていました。


殷 骨刻干支表 (中国歴史博物館)
 10とは十干のことで、甲・乙・丙・丁・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛・壬(じん)・癸(き)です。この2つのグループを、甲子・乙丑・丙寅・丁卯・戊辰・己巳・庚午・辛未・壬申・癸酉・甲戌・乙亥・丙子のように組み合わせたものを60干支といいます。
 殷の時代には60干支>(ときには10干および12支)を使って日を数えましが、後には年や月を呼ぶようになり、その方法が日本にも伝えられ、とくに干支で年を呼ぶことは現在でも行われています。ことに迷信的暦法が干支に結びついて、迷信の原理のように考えられています。
 後漢時代になって12支に動物があてられ、子をネズミ・丑をウシなどと呼び、また五行説の発生に伴って、10干の甲乙を木、丙丁を火、戊己を土、庚辛を金、壬癸を水に当てるようになりました。唐に至り、おおいに流行して文化的にも芸術の域に達しました。
 日本ではさらに甲乙などの10干は兄弟に分けられ、兄をエ・弟をトと、すなわち甲をキノエ・乙をキノトといった具合に呼ぶことが行われ、10干をエトということもあります。
 唐代の多くの墓誌の4周に12支が刻されていますが、昭陵博物館に現存する尉遲敬徳墓誌とその夫人の蘇氏墓誌の12支は、造型的にも、細工の技法的にも石刻芸術の珍品といえます。

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