<秦府18学士>

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秦府18学士のメンバーは、

          大行台司勣郎中の杜如晦
          記室考功郎中の房玄齢
               〃   于志寧
          軍諮祭酒の蘇世長
          天策府記室の薛収
          文学の褚亮
           〃 姚思廉
          太学博士の陸徳明
              〃 孔穎達
          主簿の李玄道
          天策倉曹参軍事の李守素
          王府記室参軍事の虞世南
          参軍事の祭允恭
              〃 顔相時
          著作郎摂記室の許敬宗
                 〃  薛元敬
          太学主教の盖文達
          軍諮典の簽蘇嶠

で、実質的には李世民の参謀部でした。李世民は18人を3班に分けて宿直させ、暇があればここを訪れました。そして、典籍を研習し、古を論じて今を談じ、彼等を特別に待遇しました。

李世民をとりまく18学士たち (宋人の筆と伝わる ・ 『東洋の歴史』より)
 そして、閻立本に《18学士写真図》と称する一人一人の画像を描かせ、褚亮に姓名・表字・爵位・籍貫を書かせました。こうしたことから、当時の文人たちは、文学館に入った学士たちを「瀛州に登る」と呼びました。
 瀛州とは、『史記』(130巻。漢の司馬遷(シバセン 前145〜前86)の著した歴史書。前91年成立。上代から漢の武帝の前122年までの史実を記した正史)の秦始皇28年条に、山東半島の沖の海の中に蓬莱・方丈・瀛州という3つの仙人の住む山があり、そこに不老長寿の妙薬がある、と書かれています。多分、仙人の山に登るような待遇を受けることを比喩して、こう言ったものと思われます。

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