李勣碑

臨書例

INDEX

 昭陵博物館の正門をくぐると、目の前に整地された円形の芝生があります。その中央に、高さ565p、幅208p、厚さ70pの巨碑が立っています。これが昭陵培葬碑中の冠たる李勣碑です。
 その遠方に、高さ18mほどの円錐形に盛土した山冢が「品」の字形に三つ連なっています。李勣の墓です。案内版には徐懋功墓とあります。墓前には、石人・石虎・石羊が配置されています。


昭陵博物館の平面図看板

「先生、私、ここに来たの2回目です。でもここは難しいです。ガイド失格です」
と笑いながら話しかけてきた。昨日から私のことを先生と呼び出した。観光気分の私にとって、何だかこそばゆい。もっとも先生とは、中国語では誰々さん、の意味だが。
「でも興味あります。一緒に行っていいです」
今年のガイドの元さんは31歳、ときどきおかしな日本語を話すが、独身でなかなかのやり手、しかも向学心に富んでいる。運転手もついてきた。
「これ、李勣の碑。何度見ても大きいね」
「李勣て?」
「徐世勣でしょ」
「徐懋功て言えば解る?」
「ああ徐懋功なら知ってます。へえー、王羲之のような字ですね」
「《集字聖教序》を大きくしたみたいね」
「そうかなあ?側筆はないけど、《書譜》みたいにコロコロした感じじゃん」
「うん、高宗の書だよ。ふくよかでゆったりした感じだろ」
「ええ、素晴らしいですね。お父さん(太宗)の影響ですか」
書の知識もある。そう言えば昨日耀県碑林に行ったときも、北魏の北朝書について詳しかった。解らないとは謙遜してのことかもしれない。運転手も漢詩に造詣が深い。良い2人と出会えたと内心喜んだ。今までここへ来るのも大変だった。明日は九成宮まで行く予定だ。この調子なら本当に見られるかもしれない、今年は期待できるぞ、心が踊った。
「徐世勣は、曹州離孤(山東省単県)の人で、あざなは懋功。太宗から李姓を賜り、太宗李世民の名に遠慮して李勣と名乗った。彼は17歳にして任侠の頭領(群盗)翟襄(テキジョウ)の部下となった。とガイドブックに書いてあります」
「うん、昭陵博物館に並ぶ諸碑石を理解するには、初唐の歴史を知らなくちゃね」

 《李勣碑》は、李勣が亡くなって8年後の儀鳳2年(677)に、高宗が彼のために自ら文を撰し、自ら行書で書しています。32行、行約90余字。篆額には4行で16字、「大唐故司空上柱国贈太尉英貞武公碑」とあります。高さ6.65m、昭陵の多くの墓碑の中でも最も大きいものです。
 この碑も、下半分は潰されていますがこれだけの巨碑、6割は明瞭に残っています。碑文の内容は、『旧唐書』『新唐書』(225巻。宋の歐陽脩(オウヨウシュウ 1007〜72)らの編。唐代の歴史を記した正史。唐代の正史については、すでに五代後晋の時に編集された「唐書」があるが、本書はその「唐書」を補正する目的で、仁宗の詔によって編集されたもので、本紀10巻、志50巻、表15巻、列伝150巻からなる。1060年に本書が完成したので、前の「唐書」は「旧唐書(クトウジョ)」と呼ばれるようになった)とほとんど同じですが、その没年を碑文では76歳、『新唐書』では86歳としているなど、多少の異動があります。

王羲之像(台北故宮博物館)
 王羲之の《集字聖教序》を思わせるこの書は、高宗が父の太宗とともに、羲之・獻之の二王を宗としたことが知られます。高宗の書作品は、宋時代の『金石録』に、乾封元年に《唐登封紀號文(トウトウホウキゴウブン)》を行書で泰山の頂(いただき)に、同じく小字行書の碑を泰山の下(フモト)に立てたとあり、この時代にまだ存していたことが知られています。しかし、永徽5年(654)の《萬年宮銘》、顕慶4年(659)の《大唐紀行頌》、そして儀鳳2年(677)のこの碑だけが現存しています。
 彼は真・草・隷・飛白の各体を善くしたといわれ、飛白書を侍臣に賜ったことや、龍朔2年(662)には遼東に出征した将士に書を与えたりしたことが『唐書』に見えます。そうした中でも、この《李勣碑》が高宗の傑作といわれています。
 《李勣碑》は、光宅元年(684)11月の武則天による「剖墳斫棺」の際、御製御書のため難を免れ、1300年の長きにわたり李勣の墓前に立っています。明の趙崡(チョウセキ)の『石墨鐫華』に「余、かつてこの碑の下に至る。碑高を見るに、房玄齢や杜如晦の諸臣を大きく越えている。 「それは陛下の家事ですから他の者に聞くことはありません」の一言を言ったためだろうか」とあります。確かに高宗にとってはあり難い一言だったかもしれません。
 しかし、どう考えても道理に合いません。あの一言がなければ、武則天も存在しなかったし、李敬業たちも造反する必要もなかっただろうに。第一、李勣も墓をあばかれずにすんだものを。


李勣墓上にて(藤本・私・是永・小林斗庵先生・石坂の各氏/1978.9.17)

INDEX