昭陵博物館位置図

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中国図書進出口総公司西安公司 (『西安の名所旧跡』より)
 幾度この道を通っただろう、町なみが走馬灯のように脳裏を駈け抜ける。それが実際の景色とかさなりあって、旅情を誘う。
 西安の道は長方形の城壁に囲まれ、鐘楼を中心に碁盤割りに走っています。数年前までは、それに沿った緑の並木、ベンガラ色の塀、白い壁、それらがくすんだ灰色の屋根と風情のあるコントラストをつくり出していました。現在は、近代的な建物がならび、電飾の看板がゴテゴテに飾られています。しかし、さすがに11もの王朝が都した中国最古の都、しっとりとした情感は残っています。
 鐘楼から北門をぬけ咸陽(カンヨウ)に至るこの道は、新空港からの幹線道路です。プッー、プッー、プッー、中国独特のクラクションの響きが懐かしい。市内を抜けると広い並木道に入ります。プラタナスでしょうか、日本でいえば絵画館前といった感じです。
 西安の夏は暑い、朝だというのに26℃、今日は40℃を超えるそうです。そのわりには涼しく感じます。並木が歩道はもとより車道にも伸びてトンネルのようになっています。枝を横に伸ばし、日陰を作るよう勤めているんだそうです。北京から慕田峪(ボデンヨク)へのポプラ並木も素晴らしいですが、この並木も味わいがあります。

 1998年10月、1年半ぶりに西安を訪れました。驚いたことに町並みが一変し、モダンな近代建築が建ち並んでいます。鐘楼の前にあった清朝風建物の「徳発長」(餃子屋)は広場となり、西門への道路に面してコンクリート造で再建されています。なにか日本の寺院を思い出しました。
 プラタナスの並木もなくなり、道路が拡張され、高速道路へとつながっています。クラクションの響きもほとんど聞かれなくなりました。
 1999年7月、再びここを訪れましたが、国体が開催されるとのことで、いたる所で道路が拡張され、まったく別の街に来たようでした。



李寿墓壁画(朝日新聞社『装飾古墳の世界』より)
「唐の太宗もこの道を通ったのかしら。九成宮への御幸など、さぞ大変だったでしょうね」
妻が話しかけてきた。今年は娘2人と、4人旅だ
「佐倉の歴博で催った装飾古墳の世界、見にいったろ」
「ええ」
「あの李寿墓の壁画みたいな行列じゃないかなあ」
「旗を持った騎士が行進している出陣の図でしょ」
「李寿の墓誌、昨日碑林で見たじゃん。亀さんの形した」
唐の代に思いを馳せているとガイドがしきりに西安事件の話をする。
「1936年12月12日、張学良蒋介石を華清池に監禁しました。団結抗日戦を迫られた事件です」
「何日ぐらいかかったんでしょう」
「すごい人数だったろうし、野営しながら風呂まで持っていったんだろ。大変なことだよ」
「そして、周恩来などの共産党代表団が張学良、楊虎城らと会談して、第2次国共合作が成立しました」
「え、ああ、でもそれは東門の近くにあった張学良公館でのことでしょ。ここは北門を出たあたりよ」
「うん。第一、張学良は今、台湾にいるじゃん」
ガイドは黙ってしまい、なにやら冊子を読み始めた。


張学良の名刺(7p×10.6p)
 北門の手前を左に折れ、西宝高速にのって蘭州方面へと向かいます。以前この道を通ったときは高速道路の工事中で、やたらとあっちに曲りこっちに曲りして、黄河の濁流のようなどろんこ道を上下左右に大きく揺られながら必至になって車窓の上の手摺にしがみつき、なんとか通過した記憶が残っています。
 今年はその高速道路が完成しています。日本の高速道路をまねたというだけあって、料金所のゲートなども一部中国的な装飾はしていますがそっくりです。が、右側通行のため、料金所のボックスが左側にあり、係員の座席が高いのでしょう、運転手を見下ろすように座っています。5元(現在は10元)を払い、高速にのると、渭河を渡り北西へ1時間弱で咸陽市の先の礼泉県礼泉市に着きます。
 礼泉県は、もとは醴泉県といい、醴泉宮のあったことに由来しますが、1964年、音(オン)の同じ礼に改められました。この礼泉市の十字路の電柱に小さな「昭陵博物館」という看板を見つけました。昨年(1993年)の春に来た時にはありませんでした。昭陵を訪れる観光客など極希だそうで、濃霧のなか田園の中のあぜ道を、地図を頼りに地元の人に何度となく尋ねながら、ようやくのこと辿り着きました。(1999年7月には、大きな道路標識にも「昭陵」とあり、右折する場所には大きな絵の描かれた看板までありました。)
 昨年は3月でした。今年は7月、真昼のせいか景色が違います。こんなに開けた町並みだったでしょうか、趙鎮などの人が多く賑やかな幾つかの町を通り抜けると、遥か遠く、左側に九山が一際高くそびえた山並みが連なります。九山は海抜1188m、中国史上世にも希な名君といわれ唐朝文化の大業を成し遂げた2代皇帝、太宗李世民(597〜649)の墓陵、昭陵です。
 この自然の地形を利用した墓陵は、土盛りをしない墓陵の最初の例といわれます。現在、378もあったという陵園内の建造物は、唐時代末に壊され、すでに喪失してしまいました。が、真南の山下の朱雀門の門闕と献殿、山の北側の玄武門や祭壇などの跡は残っています。祭壇内には外蛮夷狄の14国の君長の石刻像がありましたが、現在は像の基座のみがようやくのこと当時の面影を止めています。
 また陵墓に通じる廊下には6頭の石刻の駿馬が置かれていましたが、現在は西安碑林の石刻芸術室(1998年より改装中で199年10月オープンの予定)に4頭、アメリカに2頭、移置されています。1961年、国務院は「全国重点文物保護単位」を公布し、昭陵はその1つに指定されました。

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