姜遐碑

 姜遐、あざなは柔遠、甘粛省呉水県西南の人です。官は武則天の時、左鷹揚衛将軍・摂地官尚書通事舎人・中書舎人・内供奉に至り、天授2年(691)10月10日に亡くなれました。
 この碑は火災のため4つに割れ、明代には上半を失い下半だけを《姜遐断碑》と言っていました。端方はこの碑の旧拓を所蔵していて、石印をもって複製したとあります。
 1974年、残りの三載が発見され碑の全体が整いました。
 碑は姜遐の甥の、侍郎(四品)で郕(セイ)国公の姜晞が撰文し書しています。
 姜晞は「褚遂良を学んでほぼその形は得たが筆力は未だ及ばざるもの」と評されています。
 碑面は磨滅が激しく200字程度しか読めません。わずかに残る書を見る限りでは、確かに形はチョ遂良以上にまとまっています。しかし、空間の処理に疑問があります。懐を広げる意図は解りますが不自然に見えます。また、楷書の中に行書の筆意が見られますが、筆の流れは感じません。何か寄木細工を思わせ、おっかなびっくり真似しているように思われます。
 碑額には篆書陰文で「大唐故吏部尚書姜府君之碑」とあります。