豆盧仁業碑

 豆盧仁業は、豆盧寛の長子で、河南省洛陽の人です。永興元年に芮(ゼイ)国公に封ぜられ、官は右武衛将軍に至り、儀鳳3年(678)に亡くなりました。
 碑文は楷書で、撰書人の姓名はありません。その書法は歐陽を思わせる厳格なものです。その結体のままに、点画を髪毛1本ほどの細線でつなげています。
 しかもそれが自然で、流麗な流れとなっています。一部に行書の筆意が見られますが、こうした字も周りの文字と解け合って、実に巧みです。それでいて起筆・終筆には力感があります。そして転折部分では、三過折(トン・スー・トンの三過折が見られるものを楷書とするという西川寧氏が提唱した説)が明確に現れ、微妙な味を醸し出しています。
 碑は早い時期に弾頭の下部と碑面の中央の2か所で3つに割れ、土中に埋まってしまいました。1974年に発見されたため、この碑についての著録はほとんど見られません。もし、先人達がこの碑を目にしていたならば、必ずや持て囃されていたと確信できます。
 碑額には篆書で「唐故右武衛将軍ゼイ敬公豆盧府君之碑」とあります。