崔敦礼碑

 崔敦礼は、あざなは安上で、咸陽の人です。本名は元礼ですが高祖李淵より崔敦姓を賜わりました。
 唐の少数民族の友好関係樹立の政策に貢献し、官は太子太師・同中書門下三品(宰相と同等の位)を拝しました。顕慶元年(656)、60余歳で亡くなり、開府儀同三司・并州大都督を贈られ、昭と諡されました。
 この碑は早くから磨滅が甚だしかったもので、しかも既に佚して存しないと言われていましたが、1964年、再び出土しました。
 立碑年月は不明です。撰文は于志寧、筆者は于立政です。于立政は于志寧の子で京兆高陵の人です。官は、于志寧が宰相の時、太僕少卿・虢(カク)州刺史に至りました。他に《令孤徳芬碑》《于志寧神道碑》などを書しています。
 筆者については、筆致が《李靖碑》に似て整潔俊逸であることから、『庚子銷夏記』では王知敬としています。一方、『集古録目』・『金石略』では、ともに于立政としています。
 実際に臨書しての感想ですが、実に伸びのある線で、懐が広く感じます。確かに、隋の墓誌銘を思わせる整斉な結体ですが、見ると書くでは全く異なった感じがします。どうやら筆者は于立政のように思われます。