趙王墓誌・蓋

 趙王李福は太宗の第11子です。隴西成紀の人で、あざなは祐、母は楊妃です。太宗は玄武門の変で兄の隠太子建成とその子供達すべてを殺害しました。そして、李福が隠太子建成の嗣子となりました。李福の子に趙王思順がいます。
 李福は3歳で趙王に封ぜられ、のちに右衛大将軍から梁州都督・上柱国に至り、咸亨元年(670)9月13日に37歳で亡くなりました。
 翌年の咸亨2年12月27日、昭陵に陪葬され、諡は禮、司空・使持節・大都督・荊z岳朗四州諸軍事・荊州刺史を追贈されました。