清河長公主李敬碑

 清河長公主は太宗の娘で名は敬、あざなは徳賢です。貞観2年(628)に清河郡公主に封ぜられました。高宗即位後長公主に封ぜられ、清河長公主となりました。
 太宗・高宗に仕え、程知節の中子の程處亮(『新唐書』巻83「諸帝公主伝」・『唐会要』巻6では程懐亮に作る)に功臣の子なるを以って下嫁し、麟徳元年(664)に亡くなりました。
 程知節は、太宗24功臣の1人です。詳しくは《程知節碑》の項目を参照してください。
 碑は楷書で、27行に書かれていますが、上半分が磨滅しているため毎行の字数はわかりません。
 碑額には篆書陰文で「大唐故清河長公主碑」の9字が刻されています。
 撰文は李儼、筆者は暢整です。李儼は、宰相の張濬の子で、昭宗から姓を賜わりました。
 暢整は当時書名がありましたが、現存するのは《程知節碑》と、この碑ぐらいです。
 この碑は、昭陵の他の碑と趣を異にしていて、「勁峭奇偉」とか「勁抜にして、千鈞の弩を張り、殼満ちてのち発するが如し」とか評されています。
 しかし、字形・書法に遂良の影響を受けたと思われる点があり、楊守敬の『平碑記』が、「上は登善(遂良)を承け、下は薛曜を開く」と評しているのは適評のようです。宋人の書を思わせる自由な書きぶりです。