裴藝(順義公)碑

 早くから知られている碑ですが、残念ながら磨泐(マロク)が甚だしく、明清の金石書にも碑題を挙げるだけで、録文を載せていません。羅振玉は徐坊所蔵の精拓を借り、苦心してやっと287字、半字25を録し取り『昭陵碑録』に収めました。
 順義公がどのような人物かは分かりません。ただ『宝刻叢編』では裴藝としていて、本来は《順義公碑》ですが、後代《裴藝碑》と呼ばれました。
 しかし裴藝についての詳しい記載は見付かりません。ただ、碑額に陽文の楷書で「大唐贈晋州刺史順義公碑銘」とあります。卒して晋州刺史・順義公を贈られたものと判る程度です。
 孫三錫の『昭陵碑攷』は巻7と巻10とに標題をかえて同じ碑を載せ、その書について「字画秀媚にして、又健筆多し」と評しています。
 宋の趙明誠の『金石録』では、標題を「晋州刺史裴府君碑」とし、「姓名残欠」とあります。しかも貞観23年(649)の立碑で、撰文は上官儀、筆者は褚遂良であるとします。何か基づくところがあるのでしょうが、不明です。
 上官儀は、あざなは游韶、陜州の人です。貞観時の進士で、召されて弘文館直学士を授かり、秘書郎に遷じました。文章に長け、詩に工でした。のちに梁王忠事件で獄死しました。《萬年宮銘》には「太子洗馬学士臣上官儀」とあります。