安府君墓誌

 安府君についての履歴は見付かりません。墓誌銘によれば、諱は元寿、あざなは茂齢で、涼州の人です。龍朔3年(663)、右驍衛郎将を拝し、のち中郎将に、咸亨元年(670)に雲麾将軍に遷じました。上元元年、右咸衛将軍となり、永淳2年(683)8月4日、77歳で亡くなりました。上柱国に封ぜられ、涼公を賜り、光宅元年(684)に昭陵に陪葬されました。
 墓誌の初には「大唐故右咸衛将軍上柱国安府君墓誌銘」と刻されています。また「国子監祭酒郭正一撰」とあり、貞観時弘文館学士を勤めた郭正一の撰文と判かります。