蘇氏墓誌・蓋

 尉遅敬徳夫人蘇氏の諱は斌、京兆始平の人です。非凡な才能の持ち主で、夫にはもちろん、その親や兄弟に良く誠心誠意尽くしました。
 大業9年(613)5月28日、25歳の若さで亡くなりました。当時敬徳はまだ李世民と戦っていた太原留守の劉武周の同盟者でした。その後、唐に帰し、玄武門の変で活躍し、親衛隊長として武勇を現わします。
 太宗の世、貞観8年(634)に至り、12月22日夫人蘇氏を昭陵に陪葬しました。
 敬徳は顕慶3年74歳で、病気のため亡くなりました。この墓誌銘は、顕慶4年(659)4月14日、その前年に亡くなった夫の尉遅敬徳と夫人蘇氏が合葬されたときに書き直されたもので、楷書で34行、行34字。縦横はともに95pの正方形で、蓋には篆書で「大唐故司徒并州都督上柱国鄂国忠武公夫人蘇氏墓誌之銘」とあります。忠武とは敬徳の諡て゛す。