尉遲敬徳墓誌・蓋

 昭陵東南約20qの烟霞新村の尉遲敬徳墓は夫人との合葬で、1972年の発掘では大量の文物のほかに墓誌2点を得ました。敬徳の墓誌は1辺が1.2mの正方形で非常に大きく、陜西省出土の唐代墓誌中でも最大です。尉遅敬徳墓誌の石は透明感があり、きらきらしています。
 その4つの側面には12支が彫られています。墓誌の詩文は洗練された楷書で書かれ、50行、行50字、計2218字で、撰者、書者の名はありません。
 何故か、以前から疑問に思っていますが、「公諱融字敬徳」の「融字敬徳」、「春秋七十有四」の「秋七十有」など4箇所が削りとられ、掘り直されています。諱(イミナ)・字(アザナ)・春秋(没年齢)など、誤るはずのないところだけが何故なんでしょう。
 墓誌蓋には飛白体で25字「大唐故司徒并州都督上柱国鄂国忠武公尉遲府君墓誌之銘」と書かれています。