李寿墓誌・蓋

 李寿(577〜630)は、字(あざな)を神通といい、唐の世祖(李淵の父)の弟鄭孝王李亮の長男で、隴西狄道の人です。官は開府儀同三司・上柱国・淮安郡王に至り、没後司空を贈られました。
 この墓誌の形状は他のものと著しく異なります。獣の首をした亀の体で、四つ足で長方形の台座の上に腹這いになっています。
 詩文中に「霊亀」という語が見られます。どうやら亀に瑞祥の意があるため、亀形にしたものと思われます。こうした亀形墓誌の先例としては《元顕儁墓誌》があります。
 しかも、出土した時には全身に彩色され、金が張られていました。しかし、現在は残念ながら、すべて脱落してしまいました。
 亀の甲羅の部分が蓋となっています。その中央部分に篆書陽刻で「大唐故司空公上柱国淮安靖王墓誌銘」とあります。
 墓誌の詩文は楷書で、撰書人の姓名はありません。その書は、歐陽詢を思わせる背勢で筆先のきいた清秀なものです。また、一部で「上・二・三・五」などの横面の最後を跳ねあげるなど、隷意を感じさせ、また異体字も多用しています。こうした筆意は歐陽詢の子の歐陽通が書した《道因法師碑》にもみられることから、単に北魏の遺風とはいえないかと思います。あるいは一つの書風とすべきかと考えます。
 現在この墓誌は、蓋をしたままガラスケースに収められ、墓誌が見えない状態で陳列されています。私はここを何度か訪れましたが、またまた幸運にもケースから出され、蓋の開いている時がありました。写真はその際のものです。