韋頊墓誌・蓋

 韋頊は、墓誌の本文によれば、名門貴族の出身で、官は衛尉卿に、位は銀青光禄大夫に至り、開元4年(716)4月10日、81歳で亡くなりました。そして、これより9年前の神童3年2月26日に他界して、長安城の南、畢原に葬られていた夫人・裴氏の墓に、開元6年(718)7月29日、合葬したと刻されており、その時のものがこの墓誌銘です。
 この墓は、清朝の末年に盗掘の難にあって、石槨を組み立てている石板や石柱が散乱していました。そこで、これを手掛かりにして、1943年に王子雲氏によって墓誌や副葬品が発掘されました。
 墓誌を刻した石は約92pの正方形で、厚さは35pばかりで、1行40字の38行で、総字数は約1500字余りです。線は1字の大きさに対して一般にやや太めで、点画は丸みをもち、「祖・経・珪」などの扁や、「崇・茂」などの冠は行書の筆使いで、おだやかな感じを与えています。字形は正方形に近い縦長で、安定感のある楷書です。蓋の中央には「大唐故衛尉卿韋府君墓誌銘」と陰刻され、周囲は線刻の唐草で縁取られています。
 この篆書は、細くて力強い曲直線で刻されています。そのため「衛・墓・誌・銘」などの繁画の文字も、線が細いため余白が十分にあってゆとりをもっています。「大・墓」などの左右対称の文字はもちろんですが、他の字も対象に近い形に構成され、曲直線の美と、その組み合わせの美が造形の基調となっています。