石彦辞墓誌・蓋

 石彦辞は、あざなを匡臣といい、唐末に金紫光禄大夫・右羽林大将軍・左金吾将軍などを歴任しました。梁王・朱全忠が唐を滅ぼして皇帝を称すると、それに従って右金吾大将軍を授かりました。開平4年(910)、58歳で亡くなり、洛陽に葬られました。
 墓誌には、その仕歴その他を記してあり、唐末・五代の史料として、正史を大いに補っています。
 撰者は胡裳吉、篆額は従姪の戩、書者の李昭遠、ともに正史にその名は見つかりません。しかしその書は、平静な体で、唐の伝統を忠実に守っています。