段威墓誌・蓋

 段氏は武威郡の名族ですが、一部が北海期原に移りました。漢の西域都護・段会宗や、その従曽孫、後漢の破羌将軍・段fなどが歴史に名を残しています。
 段威は、あざなを殺鬼といい、はじめ爾朱榮に従い、のち高歓に仕え、周に入っては、使持節・洮州諸軍事・洮州刺史・虎賁大夫を拝し、主として辺防に功がありました。
 やがて驃騎大将軍・開府儀同三司を賜り、爵を進めて新陽公となりました。のち甘州刺史に除せられましたが、赴任の前、建徳4 年(575) 67歳で亡くなり、使持節・河兆二州諸軍事・兆州刺史を贈られました。そして、夫人の劉氏が開皇10年に亡くなり、開皇15年に合葬されました。
 書は隷書風の波勢の見られる楷書で、完成度の高い優れた清峻な墓誌銘です。蓋には4周に四神を配し、墓誌の4辺に12支を刻していますが、題字の刻線が不統一で、画像も疎略な線刻です。あるいは埋葬に間に合わず未完成であったのかも知れません。