匹婁歓墓誌・蓋

 匹婁歓(ヒツロウカン 509-572) は北周の高官で、雲州盛楽(内蒙古ホリンゴル)に生まれ、累進して車騎大将軍儀同三司となり、匹婁氏の姓を賜りました。その生地と姓からして、鮮卑族の出身と思われます。この墓誌は建徳元年(572)11月、妻の尉遲氏普安国夫人と雍州石安県(陝西省・陽県)に合葬されたとき刻されたもののようです。
 蓋の16字の題記は重厚な篆書です。878 字におよぶ墓誌銘は、全体として温やかな調子を見せています。しかし、復古調の隷法を取り入れようとする努力は感じますが、中途半端で乱れは隠せません。この隷書は《歩六孤氏陸須密多墓誌》と共通する一種の北周風といえる書体です。