李挺墓誌

  李挺は、あざなは神儁。爾朱栄と外戚にあたることから枢要におかれました。しかし、栄と合わず疎隔しました。その後、孝静帝が都を鄴に遷すると、鄴城に随行し、侍中に補せられました。
 書は、《苟景墓誌》《元天穆墓誌》と同様、篆・隷書の筆画を混えた異体字が多く見られます。この傾向は、東魏に至って益々強まります。