穆亮墓誌

 穆亮は、あざなを幼輔といい、世宗宣武帝のとき侍中・中書監を勤めた穆壽の孫にあたります。兄の穆羆は、新平長公主を賜り、虎牢鎮将・粉州刺史を拝しました。
 穆亮は、獻文帝(拓跋弘)の時、中山長公主を賜り、長楽王に封ぜられました。続く孝文帝(拓跋宏)の時、征南大将軍・領護西戎校尉を拝して吐谷渾を撃走しました。宣武帝(元恪)が即位すると、司空・尚書令を拝し、頓丘公に封ぜられました。景明3年(502)4月に亡くなり、匡と諡されました。
 墓誌には、「太尉・領司州牧・驃騎大将軍・頓丘郡開国公・穆文獻公」とあり、追贈されたものと思われます。
 書は《高貞碑》を思わせる直線的な造形による豪放な筆致で、沈着重厚な逞しさを表現しています。