穆亮妻尉太妃墓誌

 穆亮の妻・尉太妃は、洛陽の人です。穆亮は、あざなを幼輔といい、獻文帝の時、長樂王に封ぜられました。孝文帝の時に征南大将軍鎮護西戎校尉となり、吐谷渾を撃走しました。宣武帝が即位すると、尚書令・司空に遷じ、頓丘公に封ぜられました。
 尉太妃は、神亀2年(519)11月10日、66歳で亡くなりました。
 誌文は、四方形の右3/4に書かれており、その書は、北魏の風を守り、右上がりで力強く秀媚です。