公孫猗墓誌・蓋

 史書に公孫猗の記載は見当たりません。誌文によれば、曾祖父の豊燕は、殿中尚書・御史中丞・使持節・鎮南将軍・豫州刺史で、上洛公を授かりました。祖父の壽燕は、給事・黄門侍郎を勤め、父の臻は南部尚書・都郎・車騎府長史を勤めたとあります。
 公孫猗は、あざなを榮寳といい、遼東襄平の人です。官は冠軍将軍・中散大夫・假節夏州刺史を勤め、征虜将軍に至りました。孝昌2年(526)3月9日、65歳で亡くなり、使持節・平北将軍・并州刺史を追贈されました。
 書は、いわゆる北魏風の筆致で書かれており、異体字も見られます。加えて、鄭道昭的な懐の広さと、ゆったりとした南朝の筆致が加わり、全体としては品格の高いものとなっています。