元霊曜墓誌

 元霊曜は、あざなも霊曜で、洛陽安衆郷崇譲里の人です。誌文によれば、恭宗景穆帝の曽孫で、使持節・侍中・征南大将軍・儀同三司・青雍二州刺史の京兆康王子推の孫にあたります。 正光3年(522)11月10日、37歳で亡くなり、征虜将軍・平川刺史を追贈され、翌年の正光4年に埋葬されました。
 墓誌の書は、雄大で力強く、結体も隋を思わせる、南朝風の整ったものとなっています。それでいて転折などには北魏の遺風を感じ、逆に横画には行書的な筆使いが見られます。