元楨墓誌

　元楨の伝は『魏書』(巻19下)に掲載されています。また、『資治通鑑』にもあちこちに記事が散見しています。これらによると元楨は、鮮卑族で、本姓は「拓跋」です。北魏が由平城から洛陽に遷都した後の漢化政策により、漢姓の「元」に改めました。
　元楨は、世祖太武帝の孫で、景穆帝の子です。また、南安王に封ぜられたことから「南安王楨」とも呼ばれます。北魏の黄門貴族として、獻文帝の皇興2年(468)には征南大将軍に封ぜられ、中都大官から内部大官に遷じました。延興元年(471)8月20日、高祖孝文帝が即位すると、涼州鎮都大将を拝しました。後、都督西戎諸軍事・征西大将軍・涼州刺史などを歴任しました。
　しかし素行が悪く、太和13年(489)に高宗文成帝と兄弟関係ということで死罪に値するところを免れ、官爵を剥奪され、終身禁固に処せられました。その後、南征に随駕し、洛陽において南安王に封ぜられ、鎮北犬将軍・相州刺史に任ぜられました。
　太和20年(496)8月、鄴(現在の河南省臨漳県西)において50歳で亡くなり、洛陽の北の邙山に葬られました。しかしこの時、恒州刺史穆泰が謀反し、元楨は加担していました。そのため墓誌の官爵はきわめて簡単で、「使持節・鎮北大将軍・相州刺史・南安王」とのみあります。これは墓誌によく見られる死後の贈官ではなく、生前に至った官爵です。
　魏・晋の時代は天下が衰微したので、厚葬してはならないという命令が下され、また碑を立てることも禁じられました。ただ死者をほめたたえるために、石に刻んで事跡を述べ、墓の内部に置く墓記を制作しました。
　《元楨墓誌》は、現在まで発見された北魏紀年の墓誌銘のうち、最も年代の古いものですが、詩文の形式はもはや一定の形式に整っています。しかし、その書は型にはまらず優れたもので、同時期の《龍門造像記》とはその意を異にしますが、根底にある力強さ、たくましさは北方人共通の特徴と言えます。
　南北朝に分かれたこの時代、書法芸術は南・北それぞれに独自の発展を遂げました。そして北魏は、独特の風格を持つ、いわゆる北朝風を完成しました。これには北朝各民族の融合が大きく関係しています。北魏は、太和18年(494)、洛陽に遷都すると鮮卑人の漢化政策を採りました。政治経済もやや安足し、文化芸術の発展を促進しました。そしてそれが墓誌・造像記の書法に反映されました。北魏の造像記や墓誌は、初期のものほど、概して書が優れています。そして、後になるほどだんだん締まりがなくなり、だらしなく、また異様な味わいが加わります。これは、初期には南方から来た漢人の書法が、北方鮮卑人独自に発達してきた書法に良い刺激を与えてきましたが、やがて鮮卑人の亜流となり、それに北涼などに早くから醸成されていた趣味が表面に現れてきたものと思われます。加えて、刻す技術も低下し、細かい筆のタッチが表現されなくなります。
　《元楨墓誌》は、洛陽遷都後わずか2年、未だ漢化される以前の、隷書から楷書に向かう過渡期の代表的な書体で、墓誌のなかでも逸品であり、北魏中期の典型・代表にあげるべきものとして、以前から人々に尊重されてきました。