鄯乾墓誌

 鄯乾は、鄯鄯善国の王子で、北魏の時代に、洛陽洛濱里で生まれました。鄯善国は、タリム盆地のロプ・ノールの南にあり、前漢以来栄えた王国です。
 誌文によれば、侍中鎮西将軍鄯鄯王籠の孫で、平西将軍・青平涼三州刺史の鄯鄯王臨澤懐侯視の長男です。鄯鄯王臨澤懐侯視は、太平真君6年(445)、北魏に服従しました。
 鄯乾は、官は員外散騎侍郎・左右輔国将軍を勤め、征虜将軍安定内史に至りました。永平5年(512)1月4日、34歳で亡くなり、征虜将軍河州刺史を追贈されました。
 永平5年は4月25五日に「延昌」と改元されました。鄯乾は、その延昌元年8月に埋葬されました。
 墓誌の書には、北魏の特徴がよく表れて力強く、重心が高く、すっきりとして均整のとれた体を示しています。筆の受け渡しもスムーズで、洗練された北魏楷書の典型といえます。