元崇業墓誌

 誌文によれば、景穆帝の曽孫で、景穆帝の長男高宗文成帝の弟・陽平幽王新城の孫、車騎大将軍・儀同三司・尚書左僕射の長子とあります。このことから、父は『魏書』(景穆12王伝)に見える元欽とわかります。
 元欽の墓誌は、民国のはじめに発見されています。『魏書』には欽の子、子孝あざなは季業とありますが、崇業の名はありません。誌文によれば崇業は、あざなを子建といい、洛陽の人です。官は寧朔将軍・員外散騎常侍に至りました。正光5年(524)3月27日、38歳で亡くなり、持節・輔国将軍・平州刺史を贈官されました。
 墓誌の書は正光期(520〜524)の特徴を良くあらわし、端正で理知的な構成をとっています。全体としては、北朝風の筆致でありながら、結構は向勢で懐が広く、ゆったりとしています。