于纂墓誌

 于纂は、あざなを万年といい、河南郡河陰県景泰郷煕寧里の人です。祖父の混泥は、使持節・安西大将軍・燕州刺史を勤め、父の染干は、持節後将軍・朔州刺史を勤めました。
 于纂は、正始元年(504)には威遠将軍・平城鎮平北府長史となりました。後、永平元年(508)に寧遠将軍・懐朔鎮冠軍府長史に遷り、孝昌元年(525)には中散大夫に至りました。そして、孝昌3年2月4日、70歳で亡くなりました。
 書は、結体に乱れが見られますが、北朝風の力強い筆致です。