楊乾墓誌

 楊乾についての記述は、史書に見当たりません。誌文によると、晋の大司馬従事中郎将軍都督の咸の曽孫で、宋の員外散騎常侍領著作佐郎で魏の七郡太守冠軍将軍洛州刺史の恒農子辨の孫にあたります。父の楊悦は、魏の鷹楊将軍南郷太守恒農男を勤めました。
 楊乾は、父の後を継ぎ、孝昌2年(526)10月に亡くなり、秦州清水太守を追贈されました。
 書は、北朝書ですが、結体に幼稚なものが見られます。あるいは、漢化政策による南朝(漢人)書の影響かと思われます。