游天冠山詩

 天冠山とは江西省貴渓県(江西省省会都市、南昌市の東)の南にある三峯山のことで、三山が鼎時することから天冠山の名があるといいます。
 この碑は、碑表を、縦を19pとする7段に区切り、さらに各段を4つに分けて、上段から第6段までに五言絶句24詩を行・草書で刻しています。
 第7段目には右に趙子昂の自書と、競いて癸丑(1553)秋8月10又5日の文徴明の楷書の跋が刻されています。さらに清の康煕21年(1682)壬戌仲冬望日の周ロ観の行草の跋が刻されています。
 趙子昂(1254〜1322)は、名を孟頫(モウフ)といい、子昂はあざなで、元時代を代表する画家・書家です。浙江省の生まれで、宋の太祖10世の子孫ですが、南宋の滅亡後、1286年以降、フビライ・ハン以下5代の元の皇帝に仕え、翰林学士承旨・江浙行省平章事を務めました。宋王室の子孫でありながら元朝に仕えたため、大義名分上の非難を免れませんでした。
 しかし彼は、元を代表する教養人といえます。書は、王羲之流の復古主義で天下第一と称されました。画でも南宋画院の院体画を否定して、唐・北宋の画風に帰る復古主義を唱え、元・明・清の画壇に与えた影響は非常に大きいものがあります。とくに馬の画を好んで描きましたが、伝説化されたため、彼の作品と称する贋作が多く見られます。