石刻抜萃

 「石刻抜萃」の横書きの篆額の下を5段に区切り、上段の第1行目に「西安府碑洞石刻目録」と刻し、続いて《夏禹王衡嶽碑》・唐の玄宗注《孝経》をはじめとする8碑名と、それに唐刻《十三経》の「易経」から「穀梁」まで、第2段目には上段から統く「礼記」から「孟子」までと、《文字五経》《補字十三様》および《集聖教序》《大雅集碑》《孔子家廟》《多宝塔碑》《顔氏家廟》《争坐位稿》《題名石柱》の7碑が、第3段目には唐の《玄秘塔碑》《馮公神道》《不空師碑》《道因師碑》《楚金師碑》《大智師碑》《隆闡師碑》《精舎碑銘》《李氏先塋》《断千文》《草心経》《肚痛帖》《聖母帖》など16碑名が刻されています。
 第4段目には唐の《蔵真律公帖》《草書千文》から宋の《妙高僧伝》までの16碑名、第5段目には宋の《十八体篆》から明の《徐公家訓》までの8碑名が刻されています。最後に書丹者および篆額者名、立碑年月日、立碑者名が刻され、そのあとに行書の8行にわたる跋があります。
 この碑の立碑から30年後の乾隆46年(1781)に、畢沅によって碑林の大規模な整理が行われますが、嘉靖34年(1555)、同42年(1563)の2回にわたる大震災後の様子が忍ばれ、興味深く、また貴重な資料といえます。