新修文宣王廟大門記

 碑文には、「五代の後梁・開平3年(909)、長安を守備していた劉繧ェ石経を城内に運び入れ、宋の文廟(唐の皇城)の尚書省の西隅に移した。それは現在の城内(城壁の内側)鼓楼の北、社会路に面する旧清朝の市政使司署だった所である。しかし、その場所は湿度が高く、また充分な保護が加えられず、したがって、いくぶんかの損傷をみながら180年ばかりが経過した」とあります。